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2005年04月23日

■サー・ボビー&RED DEVILSの赤い衝突

 マンチェスター・ユナイテッドを「マンチェ」とするか、「マンU」とするか。昔はみんなマンチェと言っていたので、最近の「マンU」にはどうも慣れない。「漫遊?」みたいな。地元の人は、「ユナイテッド」と呼ぶらしい。しかし、ニューカッスルもリーズも「ユナイテッド」なわけで、あくまで土地ッ子の間の話だろう。


 7月にマンチェがやってくる。昨年、オールド・トラフフォードで行なわれたプレシーズンマッチが、今度はホームで楽しめるわけだ。日本では、浦和と鹿島がマンチェを迎え撃つ。21日の会見には、ナイトの称号を持つマンチェのフロント、サー・ボビーが登場、親善試合への意気込みを語った。

 サー・ボビー・チャールトンといえば、イングランドサッカー界の重鎮であり、プレイヤー時代から、“本当のジェントルマン”として他チームからも尊敬を集めたフォワード/ミッドフィールダーだ。俺が彼を知ったのはもうずいぶんと前のこと。まだJリーグが開幕していなかった頃かもしれない。マンガ「キャプテン翼」で興味を持ったサッカーに、当時プレイする方ではなく、なぜだか関連書籍に興味を持った。友達に、野球に盛り上がっているのは日本とアメリカぐらいで、外国はみんなサッカーだと聞いて、少年野球をやっていた俺は、半信半疑で調べたのだ。調べると言っても、本屋で立ち読みぐらいしかしていないが、その中で見つけた「ミュンヘンの悲劇」についてはよく覚えている。


 「ミュンヘンの悲劇」は、1958年2月6日のこと。マンチェは、東欧での欧州チャンピオンズ・カップの試合に見事勝利。メンバーを乗せた飛行機は、その帰途、給油先のミュンヘン空港に立ち寄った。給油を終えた機体は、凍った滑走路を飛び立とうとしたが数回の失敗、ようやく離陸するも高度が保てずにあえなく墜落、大破したのだ。主力選手7名を含む8名のプレイヤーが命を落とし、15名のコーチや記者らも犠牲となった。その中には、イングランドの次代を担うプレイヤーとして注目を集めていたダンカン・エドワーズの名前もあった。


 奇跡的に生存した選手もいたが、彼らが事故によって選手生命を絶たれる中、ボビー・チャールトンは大きな負傷もなく生き残り、名将バスビー(監督)も昏睡状態から一命をとりとめた。チームはその後、ボビーとレギュラーだったグレッグ・フォークスを軸に再建され、徐々に実力を発揮。10年後の1968年、若手の台頭もあってバスビー監督の元に悲願のチャンピオンズ・カップをもたらした。


 日航機墜落事故を覚えておいでだろうか。1985年8月12日、東京−大阪間を運行する日本航空機123便が群馬県の御巣鷹山に墜落し、乗客乗員含め520人が帰らぬ人となった航空機事故である。当時7歳だった俺にとって、悲劇という言葉を初めて実感した出来事だった。俺は「ミュンヘンの悲劇」にも、それを重ね合わせていたのかもしれない。なにせ、サッカー好きという程でもない俺がいまだに覚えているのだから。


 サー・ボビーは、マンチェの長い歴史の中でクラブ・レコードとなる604試合に出場している。選手生涯1枚しかイエローカードをもらわなかったフェア・プレイヤーでもある。ただし、イエローカードのシステムは1970年頃に生まれたらしく、70年だとすでにサー・ボビーは30歳中盤にさしかかっているはず。この記録が、果たして評価に値するものなのかどうかは不明だ。クリーンなプレイヤーという意味では、名古屋グランパスエイトでも活躍したギャリー・リネカーの存在を忘れてはならないだろう。彼はその選手生涯で1度もイエローカードを受けていないのだ。


 会見に登場したサー・ボビーは、やはり紳士だった。フィルターがかかっているのでそう見えるだけかもしれないが、品格と機知に富んだスピーチは、英語がわからない俺にもなんとなく“いい感じ”に聞こえた。なぜだか頭の中に、「乗客に日本人はいませんでした〜」と歌ったイエローモンキーのヒット曲が流れた。68年のチャンピオンズカップ制覇の時、彼は祝賀会に参加しなかったという。その日、彼が10年前の出来事を思い出していたかどうかは定かではないが、少なくとも伝説にふさわしい物語性の高いエピソードだと思う。


 レッズとの試合では、ホームチームのレッズがマンチェとそっくりな赤いユニフォームを着用するだろう。「赤い悪魔」ことマンチェがアウェイの黒いユニフォームになるとすると、どっちがどっちなのかわからなくなりそうだ。両チームのファンで、スタジアムはいつも以上に赤に染まることだろう。レッズは、ハンブルガーSV(HSV:ハーエスファウ)との試合もあるようで、こちらも期待したい。


 そういえば、レッズが磐田の藤田獲得に乗り出しているらしい。トップ下の山瀬が抜けた穴を、磐田で出場機会に恵まれない藤田で埋めるつもりなのかもしれない。FWにエメ、永井を置いて、ゴールも狙える位置に藤田、そして長谷部と鈴木啓太が中央よりのパスを演出し、サイドからサントス、山田が魅せる。後半には、戦況によって田中達也、平川、酒井を投入ってところだろうか。いずれにしても、藤田が加入すれば大きな戦力となるはずだ。


 攻撃陣よりむしろ、競争激しいディフェンス陣が注目だ。前節勝ち点3をあげたFC東京戦では、ユーティリティの山田を下げて4バックで成果を挙げた。FC東京の強力3トップを抑え込み、4バックのサイドが積極的に中盤に絡むことで中の厚みが増し、パスが繋がって良いリズムが生まれたようだ。次節がこれまで通り3バックとなるのか気になるところだ。


 なお次節は、超攻撃的リベロ 闘莉王や、マンマーク、ヘディングに強く、前線へのフィードにも定評のあるネネがケガから復帰し、堅く熱いトルコ代表 アルパイも出場停止処分が解ける。安定感とMFもこなせる内舘、ギドの期待に応えてDFながら2得点をあげている堀之内と競争は厳しいはずだ。実は坪井に期待していのだが、精彩を欠いたプレーも多く、まだまだ調子が戻っていない印象がある。がんばれ、坪井。


 レッズにはスピードと得点力のあるトップがいるため、どうしても前寄りの選手に注目が集まるが、前を活かすためには、いかに後ろが相手のトップをつぶすかにかかっている。献身的な守備を見せるアレックスには頭が下がるが、やはり彼の持ち味は前を向いたときのプレイだろう。レッズが復活したかどうかは次節にかかっている。



posted by ブービン at 04:50| Comment(0) | TrackBack(1) | 運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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