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2011年02月12日

ある日の葬送

 昨年7月に続いて、また叔父さんが死んだ。叔父さんの息子はボクと同い年、叔父さん自身は父よりも2つ若い。自分がそういう年齢になったと言ってしまえばそれまでだが、やっぱり早すぎる別れだよ。

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 「人は死ぬんじゃない。死んで“しまう”んだ」――昔、親を早くに亡くしてしまった友人が言っていた。訃報は突然やってくる。母親から報せが届いたのはちょうど決算会見の取材中だった。仕事の緊張感と、たった今携帯メールで目にした内容の緊張が交差して、頭が混乱していくのがわかった。すぐに「今、携帯に届いたメールは見なかったことにしよう」、そう思った。持ち直したのかはわからないけど、とにかく現場に意識を集中することでその場をおさめた。

 会見が終わると、すぐにメールを読み返した。勘違いを期待していたわけではないが、やっぱりそれはさっき読んだ通りの内容で、ずんと重い物が寄りかかってきた気がした。電話で親から詳細を聞く、親もすごく驚いていたのでいくらか冷静になれた。

 おじさんは社長だった。デザイン印刷と、最近ではイベントなんかもやっていたらしい。ボクにとっては怖い叔父さんではなかったが、物事に対して本気に取り組むというか、真剣さが透けて見える人だった。どこか冗談ではぐらかすことが許されないオーラみたいなものがあって、それが頼もしくもあった。うんと子供の頃、叔父さんの家に泊まった際にぜんそくの発作が出てしまった。ボクにとっては慣れっこの発作だったが、夜中、車を飛ばして自宅に送り届けてくれ、怖いぐらい本気で心配してくれた。

 通夜の間、ずっと同い年のイトコを目で追っていた。いつものいたずらっ子のような笑顔ではなく、力のない笑顔だったように思う。参列者と笑顔で感謝の言葉を交わしている姿にいつしか声援をおくっていた。学ぶべき父を亡くし、これから家族や会社を背負っていかなきゃならない彼は、いったいどんな気持ちでいるんだろう。そればかり考えていた。そればかり考えていたが、結局それはわからず、涙が流れるだけだった。

 これまで、人が死んで“しまう”ことに何度か関わってきたが、そのたびに胸の中にわく、捕まえどころのない感情はなんだろう。悲しいとか哀しいのはもちろんだけど、すうっと何かが抜けていき、肉体の力を奪いつつ思考が停止するようなあの感覚は何なんだろう。

 葬儀のあと、両親と弟と食事をした。子供の頃からよくいくなじみの店で、過ぎ去った“ごちそうの日”のロールプレイをしている感じがした。食事を前に、とりとめもない会話するだけのロールプレイだったが、胸から抜けた何かを埋めていくようなそんな儀式のようでもあった。

 とにかく家族に長生きして欲しい、そしてできればボクと関わった人はボクが死ぬまで皆全員生きていて欲しい、ワガママで身勝手とののしられても別にいい、それでいい。そう思う。


posted by ブービン at 23:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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