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2005年02月01日

■スネの痛みとトムクルーズ

「ドガッ!」


 帰宅途中、歩きながら寝ていたらしく、レンガ調の壁にスネを打ちつけた。痛い。スネよりも、カッコ悪くて心が痛い。


 今日は帝国ホテルで仕事だった。スネを打ちつけたのは「帝国の逆襲」かもしれない。逆襲される覚えはないが、“かもしれない”のだ。だって“かも”なんだし、なんでもありのバーリ・トゥードだから。


 「かもしれない」は便利な言葉だ。後ろに隠れている「そうじゃないかもしんない」を言わずにあやふやにしているくせに、どちらかと言うと肯定の意味合いが強い。


・俺はトムクルーズかもしれない。
・君もトムクルーズかもしれない。
・みんなトムクルーズかもしれない。


 日本語は、後半の言葉で肯定か否定をする。つまり、最後まで話を聞かないと内容がわからない言葉だ。


・僕は友人よりトムクルーズに似ている。
・僕は友人よりトムクルーズに似ていない。



 と、いうような具合。最後まで聞かないといけないので大変まどろっこしい。ただ、そんな言葉だからこそ広がりも生まれた気がする。後半まで肯定と否定を後回しにした挙げ句、前述の「かもしれない」である。最後まで結論をぼやかした上に、受け手にそこをニュアンスに従って埋めろというわけだ。言葉の受け手に、理解力と想像力が合体した瞬発力のようなものを求めるとは、なんて他人本位な言葉なんだろう。そりゃ、言葉の意味も広がるわい。


 漫才を例に挙げてみよう。多くの場合、ボケは後半にオチがつくことで成立する。後半に結論部分がある言葉だからこそ、言葉終わりに笑いが生まれるし、ツッコみのタイミングが気持ちよくなる。


A:トムクルーズって俳優いるでしょ。
B:おお、あのハリウッドのカッコイイ俳優さんね。
A:実はあれ、僕なんです。



 関西なら「なんでやねん」、関東なら「んなことあるかい」なんて言葉が以下に続くわけだ。これが英語圏の言葉だと結論が先に登場してしまう。これではなかなか漫才が成立しくいだろう。


 ところで、スペインの映画で「どつかれてアンダルシア」という映画がある。ニノとブルーノというスペイン人ドツキ漫才師のドタバタしみったれドラマだ。スペイン語の文脈がどういうもんだか知らないが、どつき漫才は本当に成立するんだろうか。。。


 ま、いいや。つーわけで、¡Adiós! Buenas noches.(アディオス、ブエナス ノチェス=じゃあね、おやすみ〜)


posted by ブービン at 01:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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