
中学時代の恩師 石井典彦先生の海外心臓移植の募金活動もようやく4000万円を突破。目標の7000万円の半分を超えた。ご協力をいただいた方々には本当に感謝している。さらにさらに多くの方に協力を仰ぎたい。とりあえず、目標金額を達成するまでは僕は土日はいらない。必要なし。いらないったらいらないのだ。先生のたくさんの教え子たちが、そういう想いで心臓移植の募金活動に参加している。年代もバラバラな教え子たちが皆それぞれに何がしかの想いを抱いて、時間の許す限り街頭で協力を呼びかけている。
中学生は思春期まっしぐらだ。小学生ほどガキンチョでもなくて、高校生ほど遠くへも行けず、周りも見えない。僕らはみんなそういう時間を過ごしてきた。一生に一度、もう取り戻すことのできないあの頃、僕もやっぱり中学生だった。
朝が苦手だった僕は、自転車通学は禁じられていたのに中学の隣にある小学校まで自転車で行って、こそこそとそれを隠してから中学校に通っていた。教室に入れば、朝の部活を終えた友人たちがわいわいと昨日のテレビの話なんかをしていて、朝っぱらからエネルギーが水蒸気となって散布されているかのように、とにかく僕らは元気が余りまくっていた。
そんな雑然とした教室に、毎朝石井先生はやってくる。朝の先生は不機嫌なことが多かった。ムスッとしながら教壇に立つと、先生のピリピリムードに気付いた生徒たちから徐々に教室に引き締まった空気が拡がっていく。もっとも、今回の募金活動で知り合うことになった先生の悪友たちにすれば、「典彦はわかりやすいからな。昔から機嫌が悪けりゃムスーッとしているし、妙にハイなときもあるし」とのこと。ま、先生といったって人間だ。そんなもんである。
先生はすごく人間的だった。先生という職業の前に、石井典彦という人間が見えてくる人だった。腹が立てば怒るし、面白ければ笑う。当たり前のことだけど、それが先生と生徒という関係だとなかなかうまくいかないものだ。でも、彼にはそれができた。くっだらないエロ話でニヤついたり、バカな話でウヒャウヒャ笑ったり、文化祭で真剣に演劇作品を作ったり、彼との思い出を語り始めたら枚挙にいとまがない。きっと、彼の記憶の中にも僕と共有している思い出があると思う。
本当はこんなことを書くべきではないのかもしれないけど、今回の募金活動の中では「先生を再び教壇に」という言葉が大きな意味を持っている。先生の教え子たちがもう一度彼を教壇に立たせようと呼びかけているのだから、必然的にそういう声も大きくなる。でも、僕にとっては、本当はそんなことはどうでもいいことなのかもしれない。先生である前に石井典彦という人間で、僕にはたくさんの時間を共にしてきた信頼できる人間なんだ。信頼してる奴が困ってたら助ける。そんなの当たり前じゃん。「先生を助けたい」というより、僕は石井典彦を死なせたくないんだ。
目標のお金が集まって、海外で手術を受ければ彼はきっと元気になって僕らの前に現れる。何よりうれしいのは、奥さんやお子さんたち先生の家族だろう。先生が心臓の病気になって何より心労を重ねたのは家族だろうし、何よりも彼の命を助けて欲しいと願っているのは彼らだ。そして、元気になった先生はもう一度教壇に立ちたいと思うだろう。彼は先生という仕事に本気で挑んでいるし、本気で考えている先生だからだ。
そのときのために、僕は彼を生かしたい。世界情勢がどうだとか、景気低迷がどうだとか、そんなことよりまず自分の足元にあるものを大切にしていきたい。たくさんの時間を過ごしてきた彼にもう一度元気になって欲しい。どうかお願いです、大切な人間のために皆さんの力を貸してください。たくさんの人の力で、一刻も早く彼の命を救ってあげてください。ご協力お願いします。
※追伸
石井先生のことをほとんど知らない多くの方から、ご協力や応援をいただいていることに本当に感謝でいっぱいです。仕事上の付き合いある方たちや僕の友人たち、そして街頭募金で「ゴメンね少ないけど、頑張ってね」と言いながらご協力いただいた多くの方々に頭が下がる思いです。この場を借りてお礼を述べさせてもらいます。ありがとうございます!!
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▼石井典彦先生の命を守る会
http://www.user.kcv-net.ne.jp/~norikun/
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■ネットだけど、本当の話
http://sechiyama.seesaa.net/article/99154.html